本来は一人一人に点茶する

ふみ

上の写真は、映画「利休』の一場面で、前回取り上げた「千利休 本覺坊遺文」とは別の映画です。

さて、初めてこの映画を見た時、上記のシーンに違和感を覚えた私でした。なぜなら、撮影場所が時雨亭だって瞬時に思い込んじゃったわけで、もしほんとに時雨亭だったとしたら、高台寺にあるわけですよね。ところが、高台寺は秀吉の菩提を弔うための寺ですから、秀吉が豊臣秀長と共に「高台寺で茶を飲む」ってこと自体、歴史的にありえないわけで、それが違和感を呼び起こした原因でした。でも、後から落ち着いて考えますと、時雨亭は伏見城から移築されたわけですから、伏見城にあった時代の時雨亭二階で、秀吉と秀長が茶を飲みながら話し合ったかと、一時的には思ったんですが、秀長は伏見城ができるよりずっと前に亡くなってますからネ、ま、やっぽり、うそっぽい感じが否めないってとこです。マア、撮影場所は時雨亭じゃなかったかも知れませんで、でも私は、「ア、時雨亭だ」って、映像を見た瞬間に判断しちゃったことでした。

 

さて、その場面ですが、右側で扇子を持ってるのが秀吉、中央が秀長で、茶室の外、画面左側に小さく映ってるのは警護の武士かなあと想像します。

余談ですが、画面右端に写ってる花入と花がとってもいいなあと感じました。

で、小さく写ってるので見にくいんですけど、秀吉と秀長の前には天目台に載せた天目茶碗が置かれています。

それで、茶碗と天目台をクローズアップしたのが下の写真です。 


さて、今日書きたかったことは、お一人お一人に、その方のお好みに合う服加減に調整してお茶を練り、また、点てることが心配りであり、それを天目茶碗で差し上げるのがAランクのスタイルでしょう・・・ってことです。まさにそれこそが、室町時代以来、敬する心を形で示すメソッドであって、もちろんもちろん、一つの茶碗から数人で茶を飲んでもらうなんて、つまり、「吸い茶」と呼ばれる乱暴なやり方はですね、全くもって論外も論外、人を尊重することにならないでしょうってことを、今日は書きたかったわけでして、続きは次回に。

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