茶の湯 ― 親愛と融和

上の図はパソコン画面を撮影したもので、森田幸江が、「いろいろ研究」してつくった食事を出しましたら、次のシーンで葉山イサオは、「同じもんばかり食わせるなー」と「ちゃぶ台返し」をするんです。
アノ、この漫画は前回のブログで紹介した2コマに続く部分でして、その2コマは、葉山イサオが「まずい」と言って「ちゃぶ台返し」をしましたから、それで森田幸江は「おいしいのを食べさせよう」として「いろいろ研究」し、改めて食事をつくったというわけなんです。今日はその続きなんですが、最初のコマは前回と同じシーンで、今日紹介する最後のコマはですネ、幸江が「研究してつくった」食事を、「同じもん」だという「別の理由」で、2回目の「ちゃぶ台返し」を敢行するイサオの絵です。アノ、イサオの「表情が描かれてない」ことで、この漫画家の見事な腕前を窺い知ることができると思います。
さて、森田ですが、葉山が「まずい」と言うんだったら、「おいしいの」をつくってあげようと研究して2度目の食膳を整えたわけですから、誠意がありますね。森田は葉山の妻ではないので、あえて名字で書きました。
ところがです、今度は「同じもんを食わせる」という理由をつけて、イサオは再び「ちゃぶ台返し」するわけです。そこから読み取れることは、イサオが「ちゃぶ台返し」する「ほんとうの理由」なんですね。つまり、最初のちゃぶ台返しは「まずいから」ではなかったし、2度目のちゃぶ台返しは、「同じもんを出されたから」ではなかった ・・・ ということなんです。
そこで、です、「ちゃぶ台返し」する「ホントの」理由って ? ? ?
ところが ・・・ ですね、それを書くのって、イヤァ、実にたいへんなことでして、ウ~ン、そうですネエ、ちょっとずつ書きたい気もしますけど、アノ、茶の湯って、葉山イサオの気分とは正反対の心境で行うものでして、でも、葉山イサオを非難してるんじゃないですョ、茶の湯の世界って、イサオが生きる世界とは「質的に異なる」ってことで、「量的な多少」とは違い、心情的な観点で言えばまるで異質な世界なんだってことでして、正邪とか優劣を論じるわけではなく、何と言いましょうか、茶の湯は「平和な世界」なんですよね、今、書きながら思いましたけど。
そうなんです、争いがない世界、心が許せる親愛と融和の世界が茶の湯で、私はそれが茶の湯の本質だと思いますけどネ、マァ 今日はこのへんで。
アノ、イサオと幸江の話を次回以降も続けたいんですけど、それは、イサオの心境と行動って、茶の湯の心と対極的だからなんです。また、幸江の心境でも、茶の湯はできないからです。