美味を不味くした明惠上人

ふみ

6月12日は「女ひとり」の歌詞1番のことを書きましたが、今日は2番です。

「京都 栂尾 高山寺 恋につかれた 女がひとり」ですけど、高山寺と言えば、茶の湯では茶の栽培、仏道では明惠上人に、私は関心があります。


明惠上人は20代前半で紀伊国有田郡白上の山中に庵を結び、修行なさいましたが、そこは現在の和歌山県湯浅町で、私にとっては、湯浅と言えば醤油なんです。澄まし汁づくりをはじめ、淡口醤油はもっぱら湯浅のを使ってまして、以前は龍野(兵庫県龍野市)の淡口も使ったことがあったんですけどね。


私の技量では「おいしい」料理なんてできないんですが、明惠上人には味噌汁に関する話がありまして、それは上人が高山寺に移ってからのできごとです。

「栂尾明惠上人傳記」からちょっと引用します。


『秋田城介入道覺知、遁世して梅尾に栖みける比、自ら庭の薺を摘みて味噌水と云ふ物を結構して上人にまゐらせたりしに、一口含み給ひて、暫し左右を顧みて、傍なる遣戸の緣に積りたるほこりを取り入れて食し給ひけり。大蓮房座席に侍ひけるが、不審げにつくづくと守り奉りければ、餘りに氣味の能く候程にとぞ仰せられける。平生、都て美食を好み給ふこと更になかりき。』


上記の文中「梅尾」とあるのは「栂尾」のことで、この文書が書かれた当時は「栂」という文字が無かったので、そんなふうに書かれたのでしょう(栂は国字ですね)。

覚知という僧が、庭に生えていたナズナを摘んで味噌水という料理を作り、明惠上人に差し上げましたら、上人は一口飲まれた後、戸の縁に積もっていたホコリを椀に入れて召し上がった ・・・ というんです。

そばで見ていた大蓮房という人が不審顔だったので、明惠上人は、「あまりにおいしすぎたものですから」と、わざと「不味くした」理由を釈明されたというわけです。

つまり、明惠上人は、すべて、美食を好まれなかった ・・・ という内容でして。


 いやあ、私が覺知の立場でしたらねェ、明惠上人は立派かも知れません、すばらしいかもしれませんけど、たぶん「気を遣わなきゃいけない」から疲れるだろうと想像します。ですから、敬遠したいですね。

ちなみに、茶の湯で懐石をさし上げるんでしたら、「おいしく作ろう」と思いますものね、たとえ技量が拙くて不味いのしかできないとしてもです。


明惠上人の気持ちには、私なんかが理解できないものがありまして、明惠上人傳記には、白上の山中で一人、修行していた時、自分で耳を切っちゃったことが書いてありますし、いや、そこに至るまでもですね、数え年4歳の時、身体障碍になろうとしてわざと縁側から転げ落ちてみたり、その後、顔にやけどを負わせようとして、焼け火箸を頬に当てる計画をしたんだけど、恐ろしくなって、左腕に焼け火箸を押し当てただけで終わったとか、そういうのはみんな、仏道に入るために親から承諾を得るためだったり、仏道への志を固めるためだったりと、イヤア、常軌を逸してるというか、恐怖が先立つ私には、明惠上人のようなことはマネできませんが、身を傷つけても仏門に入ろう、また、仏道修行を貫徹しようとする強烈な意思があったんだってことだけは、了解できますね。子ども時代の自傷行為については、「是れ仏法の為に身をやつさんと思ひし始なり」と、明惠上人自身が言ってるわけで。

以上、書いてきましたけど、私が明惠上人を尊敬する気持ちは不変です。


さて次回は、明惠上人の茶に関する話をちょっと。

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