茶の湯 ― 心で供するシジミ

前回のブログでは子母澤寛の本から引用しましたが、『わしは汁を吸いながら貝のからを一つ一つお椀の蓋の上へ並べてみた。』というところまでで終了しました。
で、「わし」と称してるのは石黒忠悳で、以下の文に老人とあるのは赤沢閑甫のことなんですが、その後の文を続けて紹介します。
『そして「どうもお心づくしの結構なお料理、ことにこの汁はうれしく思います」というと、老人は非常に喜んで、「その汁にお目をおとめ下さって何よりも有難い」といった。
しじみの貝がみんな同じ大きさで、つまり粒を揃えたところに老人の心がまえがある。
金がないので心で食わせる料理であった。
近頃は同じ茶をやってもただ贅沢ばかりで、こんなおもむきのあることをする主人はいなくなった。』
それで、私の下手な解説など無いほうがよいですから、その文を読んで感動したことだけを書くことにしますが、(1)亭主が「粒を揃えた」心遣い、(2)そのことに「気付いた」客、(3)主客両者の心を、読者である私も汲み取ることができたということが、とっても喜びです。
アノ、江戸では貧民の子などがシジミ売りをしてまして、毎朝自分で隅田川その他から採ってきて、シジミ、まあ、アサリもですけど、売り歩いてまして、庶民にとっては最廉価の食材だったようですね。幕末まで刊行されていた誹風柳多留に「佃から十五童子の蜆売り」という句が載ってるくらいです。
ちなみに、嘉永6年発行の守貞漫稿には、シジミ一升の価格が六文とあるそうですが、「早起きは三文の徳」ということわざがありますけど、「三文」って「ごくわずかの金額」を言うわけですからね、シジミがいかに安かったかということで、明治になってからもシジミ売りはいましたし、子母澤寛が聞いた話は明治何年頃のことかわかりませんが、日常食材としても安価の極ですし、取肴が「薩摩いも」って、それ子どものおやつに等しいし、「柚子湯もの」ってどんなのだったか、具体的にはわかりませんが、とにかく「懐石」にはできそうにない食材や調理法と思いますから、もう、「極貧の茶の湯」と言っていいかなあ ・・・
で、それなのになぜ私が感動したかと言えば、それは、赤沢閑甫が「百パーセントおもてなしの心」で行ったことでして、アア、でも、そう言っただけでは、私がどんなところに感動したかという真意が伝わりませんから、次回に、私が感動した理由を書かせていただきます。