茶の湯もまた「走花路」

ふみ

 

上の写真は中国TVドラマ「去有風的地方」(邦題は「風の吹く場所へ」)で、今日放送された一場面なんですけど、字幕に「全てが“花の道”へ通じる」と、翻訳が表示されています。

ところが ・ ・ ・ ですね、そのシーン、中国語で語られる元々のセリフが「一木一草皆是也」と、私には聞こえました。つまり、日本語字幕では「意訳」を駆使してまして、「なるほどそう訳したか! じょうずだなあ」って感想です。

 

で、そういう翻訳になったのには理由がありまして、執筆で生計を立てようとしてる若い女性が仕事の不調を憂え、気分が沈んでるんです。写真に写ってるおじさんはビーフンを調理してる最中にですね、彼女の落ち込んだ様子に気付き、自分がつくってる料理名を「失蹄ビーフン」だと、冗談を言うんです。そのおじさん、彼女が気落ちしてるのを察して、そんな慰めを言ったんでしょうネ、咄嗟に。そしてまた、彼も人生で失敗をやらかした人だったのです。アノ、「馬有失蹄」という言葉がありまして、「弘法も筆の誤り」と同じ意味です。

 

さて、そのおじさん、彼女に「自分の人生」を歩め・・・ってなことを言います。アノそれ、「他者に惑わされない」人生って意味でして、マア、仏道では、とりわけ禅では、そのことが最重要ですね。

 

突然茶の湯に関する話ですが、茶の湯は禅と深く結びついて発展してきました。私は最上の幸福なめぐりあわせだったと思います、心から。

 

彼女の話を続けますが、良い運命が巡ってくるよっておじさんに言われ、元気づけられた彼女は、自分の行く道を「花路嗎?」って、おじさんに問うんです。

「花路」・・・つまり、ものごとがうまくいって“花の道”と呼べるような、喜ばしい人生行路が開けるの? っていう意味ですね。

 

ところが、ドラマの日本語字幕では「花路嗎?」と言ってるところが、「そうなれる?」って翻訳されてます。理由は、「花路嗎?」を短い言葉で視聴者にわかりやすく訳すことが困難だからですね。

 

それで、「花路嗎?」の「花路」を翻訳してないのに、次のおじさんのセリフ、「一木一草皆是也」を訳さなければならないハメに陥りますよね。

ところが、「一木一草皆是也」の翻訳は超至難と、私は思います。だいたい、「一木一草」なんて言葉、漢籍や仏法、とりわけ禅になじみのある方なら耳になじんで違和感無いでしょうが、市井の一般人にとっては「何、それ?」って世界でして、「一木一草皆是也」という言葉が表現する内容を日本語訳するのは、仏教講座なんかでしたらテーマになるかも知れませんが、ドラマの翻訳としては無理ですから、「意訳」をもって何とか切り抜けるしかありませんね。

それで、「全てが“花の道”へ通じる」という字幕になってるわけで、もう、あまりの見事な翻訳に脱帽です。

 

最後に、人はやはり“花の道”を歩むんですね、それを中国風に「走花路」と表現して今日の標題に取り入れましたが、この世界、この人生を「苦」であると観じた釈尊が、眼前の世界について、漢訳では「甚可愛樂」と表現したってこと、8月13日のブログに書いたことでした。

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