茶の湯 ― 「お焦げ」は私の難題

ふみ

上の写真は、フライパンに「ご飯」を薄く広げて焼き、焼いた面をひっくり返してフライパンに戻した画像です。両面を焼いて即席の누룽지(ヌルンジ)をつくる途中です。

下の写真は、両面を焼いた누룽지(ヌルンジ)を割って鍋に入れ、水を加えて煮立てている映像です。 

どうしてこんなことをしてるのか?

実は私、「お焦げ」づくりに失敗してまして、だから、懐石で使う「焦げ湯」づくりもうまくいったことがありません。いくつか方法を試しましたが、ダメでした。

 

「お焦げ」は、釜でご飯を炊きますと自然にできます。そのお焦げで「焦げ湯」をつくるんですけど、私は電気釜を使ってますから、お焦げが「できない」んです。そうすると必然的に、お焦げだけを別につくる工夫をしなきゃいけません。

 

それで今回、新たな「お焦げ」づくりを試みまして、それが、炊きあがったご飯を使ってヌルンジをつくる方法です。アノ、ヌルンジは本来、炊飯の時に自然にできる「お焦げ」ですけどネ、それを「本来の製法ではなく」、ご飯を使って作ってみようってわけです。

 

アノ、茶の湯というのは「行為」であって、つまり、「実際に行う」ものであって、行為を通して「身体的に表現する」もの、また「感覚的に味わう」もの・・・って言ったらいいかナァ、言葉ではうまく表現できないんですけど、要するに、頭の中でイメージする「観念」とか「想念」とは正反対のものなんです。

つまり、現実の「行動」の一つが茶の湯であり、「行為による自己表現」の一分野が茶の湯なんだって、私は思います。

お客様を招く立場であれば、お客様がお見えになってお帰りになるまでの、亭主側の「行為、行動」そのもの、客の立場であれば、客としての「行為、行動」が「茶の湯」と呼ばれるものであり、くどく言ってすみません、「茶の湯」とは、行為であり、行動なのです。

 

で、茶の湯の懐石では食後に「焦げ湯」を供します。私はその「焦げ湯」が満足につくれません。それで、ご飯からヌルンジをつくる方法を、急遽試してみましたので、ちょっとそのことを書いてみようと思ったのですが、次回に続きを。


【5月5日 追記】

上の記事を書いてから20日以上たちました。

その後私は何度もヌルンジをつくったのですが、2回目からは、ヌルンジをつくったフライパンに直接湯を注いで、ヌルンジ湯をつくっています。

マァ、前日のご飯が残ってる朝はそうしてます。

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