同じ碗で茶をいただく嬉しさ

ふみ

 

上の写真は中国歴史ドラマのワンシーンで、右側がモンゴルの王女、左側に横顔だけちょこっと写ってるのは清国の王子です。字幕に「私も」とあるのは王女の言葉で、王女は王子に恋してるんです。それで、王子が革袋に口をつけて酒を飲んだ後、王女も彼といっしょの酒が飲みたいというので、それで「私も」と言って、彼から皮囊を受け取る場面でして、受け取った後、彼女は皮囊から直接酒を飲んでます。

で、皮囊を受け渡す瞬間ですが、動きが速いので、手も皮囊もブレて写ってしまいました。

それで、下の写真は、現在販売されてる皮囊の一例で、インターネットの画面です。昔の日本では酒を瓢に入れて腰に下げたりしてましたけど、ドラマのこのシーンは、今の地名で言う内モンゴルです。

 

さて、王子が飲んだその飲み口に自分の口をつけ、王子が飲んだ残りの酒を自分もいただくことに、王女は不衛生感など持つはずもありません。かえって「うれしいこと」なんですから。

 

それで次に、他人が飲んだお茶を、同じ碗から自分も飲む「吸い茶」ですけど、上記の王女と同じくですね、そうすることが「喜びである」ってことがありまして、そうですねえ、例えばどんな場合かといえば、その一例をあげてみたいと思いますが、他の人が飲んだお茶を同じ碗から自分も飲むのが「喜びだ」っていうのは「私個人の感覚です」ってことを、まず、お断りしておきます。


さて、6月30日のブログにですね、「豊臣秀長の茶頭だった曲音(養花曲庵)が、天正14年、郡山城下の屋敷に居た折、屋敷に秀長を迎え、山上宗二がスイ茶を差し上げた記録がある(以下省略)」ってなことを書いたんですが、その情況はですね、天正十四年九月二十八日未明、秀長は、秀吉の茶頭だった宗二を、曲音の屋敷に迎えたというんです。そしてその日の昼頃、松屋久政が招かれ、久政を客として宗二がまず薄茶を、次いで濃茶を振舞ったというのです。久政はその様子を、彼の「松屋会記」に記してまして、茶杓で四ツ五ツ、抹茶を茶碗に入れ、湯の量は一柄杓で、スイ茶にしたというようなことが書いてあるんですね。そして、「初口久政」と書かれてまして、最初に茶を喫したのは久政自身ってことですが、次に喫したのは誰なのか?・・・ってことはわかりません。でも、客は久政一人ですからネ、残りの濃茶は宗二か、あるいは、同席してた誰か(客でない人物)が喫したのかなあ・・・と推測するしか。

 

それで、現代でも一客一亭の場合、亭主は濃茶を二人分練り、亭主自身も相伴するってことがありまして、そういう体験は無いんですけど、稽古の場ではデスネ、一客一亭を想定するってことができますから、そうしますとですネ、もう、何と言ったらいいか、すごい喜びで私は、お客様お一人にお茶を差し上げ、亭主の自分がご相伴する、つまり、お客様が喫したお茶を自分も同じ碗から頂く、その喜悦って、すごいものがあります、私は・・・うれしいですね。

 

アノ、この場合、同じ碗から同じ茶をいただくのは「私」ですからネ、他の人に対して、同じ碗から喫することを強いるような場面では全くありませんね。「自分がそうしたい」から、お客様に差し上げたお茶を同じ茶碗でご相伴するわけで、嬉しさこの上ないんですけど、続きは次回に。

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