大好きな人とするのが茶の湯

ふみ

上の写真は中国現代ドラマのラストシーンで、夜空に字幕が一文字ずつ表示されます。「時間不会停 幸福」というところまで字幕が進行してまして、その後は「不会止」と続くことになるんです。

つまり、「時間不会停 幸福不会止」ってことですが、翻訳すればマァ、「時間は停止しないし、幸福も止まることはありません」ってなことでしょうか。

字幕の途中で撮影しちゃいましたけど、それは、「不会止」という字幕が出る頃に、二人の顔がゆっくり離れてゆくシーンに移行するからです。

 

で、こういうシーン、二人がラブラブだからありうるのであって、アノ、左側の女性が、右側に写ってる男性を嫌悪してたら、絶対こんなことしません。彼女、右手を彼の肩に置いてますネ。

 

アノ、茶の湯だってそうなんです、お茶を差し上げるのは、まさに「敬愛してるから」なんです。

嫌悪する人とは、決して茶の湯なんかしません。

 

そこのところが大切というか、絶対条件であって、「いっしょに居ることを楽しむ」のが茶の湯ですからね、写真の二人はあんなふうにしてますが、お茶人は、「茶の湯」を通して、写真の二人のように気持ちを通わせるわけです。マア、写真の場合は男女カップルですが、茶の湯の場合は性別、人数を問いません・・・とは言いましても、人数のほうはお客が最大4人程度まで・・・ってのが「私は」限度かなあと感じるんですけどネ、「心が通いあう人」とともに「喜ばしいひとときを過ごす」ために、食事や酒、菓子、お茶を差し上げるわけです。

 

だからこそ、仲が良いからこそ、一つの碗から皆で茶を喫することも行われるわけでして、つまり、「すでによく知り合ってる」気が置けない仲間同士だから、それゆえ、「一つの碗」から共にいただけるわけだし、それがとっても喜びなんですけど、ですからネ、知らない人とか、ましてや嫌悪する人といっしょに一碗から共にいただくなんてことは、本来、ありえないことなんです。

 

アレアレ、でも、現実にはそうじゃない場面があるんじゃない? ・・・ってなことについては、また次回以降に。

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