戦時の精神状態と真逆が茶の湯

ふみ

上の写真は「西部戦線異状なし」のワンシーンですが、第一次大戦でのドイツ軍を描く「アメリカ映画」なんですよね。字幕に「おれたちの使命は 殺すことだ」とありますけど、戦争ってそういうものでしょう、茶の湯の世界とは、まさに正反対ですネ。

 

どこの国だって戦争となれば敵国人を殺戮するわけで、日本だって昭和18年頃から「撃ちてし止まむ」なんて、古事記にでてくる言葉が喧伝されまして、当時、政府の情報局が「撃ちてし止まむ」に関して、「週報」という刊行物で次のように説明しています。

「大東亜戦争を戦ひ抜く一億の決意を示す言葉として『撃ちてし止まむ』の合言葉が用ひられてゐますが、『撃ちてし止まむ』とは結局『撃たずば止まじ』すなはち殲滅しなければ止まないといふ意味です。

 

また、次のようにも言ってます。

「たゞ敵米英の撃滅あるのみであります。皇民すべからく灼熱の火となつて米英を倒すまで戦つて戦つて戦ひ抜くべきであります。

『撃ちてし止まむ』の精神は、単に前線だけではなく銃後の生産戦に、総力戦に、一億国民の悉くに、今こそ『撃ちてし止まむ』の烈々たる気魄が要請されるのであります。」

 

つまり、兵隊だけでなく国民全員がですね、米英を撃滅する。さらに「殲滅」って言葉も使われてますからね、殲滅って言葉の意味は皆殺しにするってことですから、恐ろしいと思います。

マア、米軍による東京大空襲とか原爆投下もですね、「地域が限定されてる」けど、その地域に住む住民の「殲滅」と言えるかナァ・・・って感じることです。

 

アノ、東京大空襲と原爆についてはそのうち続きを書きたいですが、今日のところはですね、茶の湯にとってはひどい時代で、大切な茶道具は戦火を避けるために疎開されたって話を聞きますが、茶道具を守る事さえたいへんな時代だったようですね。戦時中には金属類回収令というのに基づいて、各家庭にある金属製品が鍋、釜、洗面器、子どものおもちゃ類、私がエッ!と思うのは仏壇にある金属製の仏具まで、極めつけは寺にあった金属の仏像まで「供出」、つまり、差し出したって例がいくつもありまして、以下に、その供出された仏像の写真を掲載しますが。アノ、梵鐘の供出なんてのは、全国の寺で「あたりまえ」だったわけで・・・

一つ付け加えますが、入営したり出征する時は、タスキをかけて故郷から送り出されるってことがありましたけど、写真の仏像もタスキを「かけさせられてる」ってとこに目がとまりました。

またまた余談、蛇足ですが、水屋で道具類を洗ったり片付けたり、また、懐石準備の時などタスキをしますけど、そういう場合のタスキと写真の阿弥陀様のタスキではタイプが異なりまして、水屋でのタスキ掛けは料理の時はもちろん、いろんな作業の時に一般的に行われるタスキ掛けで、前から見れば両袖のところに見えて、背中を見ると綾襷になってますけど、阿弥陀像に掛けられたタスキは斜めにかかってまして、マア、選挙の時に候補者が掛けるタスキとか、駅伝のタスキと同じタイプですね。

 

で、次回ですが、戦時中は茶の湯に必要な道具類も、「金属が使われてる」って理由で供出させられたことをちょっと。

×

非ログインユーザーとして返信する