川端康成「雪国」- 島村と妻子の関係

ふみ

 小説「雪国」から、主人公島村の子どもについて書かれている部分を引用します。

『彼は昆虫どもの悶死するありさまを、つぶさに観察していた。

秋が冷えるにつれて、彼の部屋の畳の上で死んでゆく虫も日毎にあったのだ。翼の堅い虫はひっくりかえると、もう起き直れなかった。蜂は少し歩いて転び、また歩いて倒れた。季節の移るように自然と亡びてゆく、静かな死であったけれども、近づいて見ると脚や触角を顫わせて悶えているのだった。それらの小さい死の場所として、八畳の畳はたいへん広いもののように眺められた。

島村は死骸を捨てようとして指で拾いながら、家に残して来た子供達をふと思い出すこともあった。

窓の金網にいつまでもとまっていると思うと、それは死んでいて、枯葉のように散ってゆく蛾もあった。壁から落ちて来るのもあった。手に取ってみては、なぜこんなに美しく出来ているのだろうと、島村は思った。

その虫除けの金網も取りはずされた。虫の声がめっきり寂れた。』

 

アノゥ、島村は、子どもたちのことをですね、ふと思い出すこと「も」あったというんですから、ふだんは「思い出さない」ってわけで、さらに妻に関して言えば、7月2日のブログに書いたように、島村にとって「居ても居なくてもいい人」であり、心理的には「居ないと同じ存在」だと、私は読み解きました。

つまり島村は、最も近い関係の妻子とさえ、心の通う人間関係が結べないんだ ・・・ って感想です。さらに、子どもたちのことを思い出す情況って、虫が悶えて死ぬ場面、そして死骸を拾う場面なんですよね、それって気味悪いし、おぞましい!

 

アァ、それで、釈尊もですね、妻子とさえ心の通う人間関係が結べない人だったんだって想像するんですけど、それは「伝説」からの推測であって、釈尊の子とされるラーフラ(漢訳では羅睺羅)の生誕やラーフラの生母に関しては、史実がわかってなくて、謎に包まれてるからなんです。

でも、確かに言えることは、釈尊は生まれた家も妻子も嫌忌して家出をしたってことで、仏教的に言えば「出家」でしょうけど、釈尊の気持ちを考えれば、昔からある「家出」であって、一昔前ならハチ公前、その後はトー横、グリ下、ドン横など、そして今は、そうですねえ、今はどういうところに向かうんでしょうか、親や家を嫌忌してそこから逃れる若者たちって・・・

 

別の話ですけど、「子どもの親となるのは罪だ」って感じる人がいて、釈尊もそうだったんじゃないかなァ ・・・ というのは単なる推測ですけど、そう推測する理由は、釈尊にとって人生の目標は、二度と生まれ変わらないこと、つまり涅槃に入ることであって、なぜそう思ったかと言えば、釈尊の頃のインドは「輪廻転生」を信じる社会でしたから、釈尊も輪廻転生を前提として生き方を探求したと思うわけです。

では、なぜ生まれ変わりたくないか、それは、釈尊がもう一つ体感してたのが、「生きることそのものが苦しみだ」ってことで、だからこそ、この苦しみの世界を脱すること、そして、苦しみの無い世界が得られたら、次には、輪廻転生によって何度も生まれ変わることがないようにすること、それが釈尊の目標だったんじゃないかと推測するわけです。

 

マアネェ、「感じ方」っていうのは人それぞれで、また、人は死んだら生まれ変わるって信じるのも自由ですけど、私とすれば、この世界は苦しみ一色ではないと思いますし、人は生まれ変わるかどうかなんてこと、問題にする気持ちがありません ・・・ というか、輪廻転生には興味がないんです。

 

まあ、それはともかく、「人生は苦しみである」という感覚が強烈だったら、「新しい生命の親になる」ことは、「苦しむ人間を新たに生み出す」ことになるわけですから、それこそ罪であると感じることは、もっともだと首肯できます。

アア、だから、釈尊は我が子の誕生を喜ぶのとは正反対に、痛恨の悲哀感でいっぱいだったのかなあ?

でも、そうだとしてもですね、その後の努力により、釈尊はついに苦しみを脱する道を見つけ、実践したのですから、偉大だなあと思います、ほんとに。

 

さて、「雪国」の島村は、妻子との人間関係すら「楽しめない」情況ですから、当然、他の人と喜ばしく交流し、楽しい時間を過ごすなんてこと、できるはずもなかったことでしょう。


そんなことを思いますと、人と仲良くすること自体を楽しむ茶の湯ができるなんてことは、イヤァ、しあわせなことだなァと、つくづく感じますね。

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