唐物茶入「つくも茄子」

ふみ

織田信長の名物狩第1回目のことを、前回、書きましたが、その前年に、信長は松永久秀から、すばらしい名物を手に入れています。また、今井宗久からも手に入れるんですけど、

松永久秀は武将、今井宗久は政商なので立場は違います。けれど、両者ともに「茶人」でもあり、松永久秀は永禄元年に北向道陳、山上宗二、今井宗久らと茶会を催し、「つくも茄子」の茶入を披露しています。

 

今日の掲載写真はテレビ画面を撮影した「つくも茄子」の映像で、「つくも茄子」は本能寺の変の時に焼けた ・・・ という話もありますけど、焼け跡から見つけ出されたのか、焼けなかったのか、経緯はわかりませんが豊臣秀吉のものとなり、その後、秀吉の臣下に与えられました。その臣下の死去後、再び秀吉の元に戻り、大坂城に保管されてましたが、大坂夏の陣で城が焼け落ちました。で、徳川家康は塗師の藤重藤元・藤巖親子を二条城に呼び出し、大坂城の焼け跡で茶道具を探させました。その結果、砕けた「つくも茄子」が見つかったというので、その修復を藤重親子に任せました。その後、復元された「つくも茄子」は藤重家に与えられ、明治時代に至ります。そして、明治8年に三菱の岩崎弥之助が400円で購入したということで、参考までに、ある人が今の金額にすると427万円と言ってます。

それで、上記写真の「つくも茄子」は、現在静嘉堂文庫にありますが、テレビで「つくも茄子」のX線写真が紹介されたことがありまして、次回に、それを掲載したいと思います。どのように割れてたのかが、おおよそわかると思います。

 

さて、「つくも茄子」の最初の所有者は足利義満 → 代々、将軍家に伝わる → 足利義政が山名氏に与える → 村田珠光が99貫文で購入(現在の597万円という算定もあり) → その後いろいろ持ち主が変わり、朝倉宗滴が500貫文で購入(現在の3015万円という算定もあり)。その朝倉氏ですが、多くの名物茶道具を保有していて、「数奇の座敷」もあり、さらに、「遠浦帰帆」、「洞庭秋月」などの唐絵も所持していたということです。

そして宗滴は、500貫文で買った「つくも茄子」を越前府中の小袖屋に1000貫文で売った(7167万円相当)と、「山上宗二記」にありますが、1000貫文を2012年の米の価格を元にして推計すると、7842万円と計算してる人もあります。

さて「つくも茄子」はその後、松永久秀が1000貫文で手に入れ、20年ほど愛用していたのですが、その後どうなったかは、次回にしたいと思います。


最後に、私は「つくも茄子」という表現を通しましたが、この他に「付藻茄子」、「九十九茄子」、「九十九髪茄子」という書き方もあります。

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