来歴という茶道具の価値

前回は、芥川山城に滞在していた織田信長に、松永久秀が「つくも茄子」を進上したことを書きました。
で、次は、今井宗久が松島茶壺を信長に献じたのは事実なんですけど、それが、芥川山城に信長が滞在中のことであったということには疑問を持ってますってことを書きたいんですが、その前に、今日は東山御物に関連することをちょっと。
足利義政って、ダメ将軍の評価はそのとおりでしょうけど、思い出しますのがバガヴァッド・ギーターに登場する王子アルジュナで、第一章の最後に戦闘を厭う場面がありますけど、彼は戦争や権力闘争になじめなかったんだと思います。アルジュナは戦闘中に闘争心を失い、弓も矢も手放してヘナヘナと崩れ、心は悲嘆に打ちのめされますけど、以下は勝手な想像で、釈尊もですね、王子として、また将来は国王として、他国との戦争で勝利し、覇者となることが使命ですからね、でも釈尊は、それが彼の性質に反するため、生きることを「苦」と感じたんじゃないかと思います。
で、日本の戦国時代も、戦国大名の責務は覇者となって臣下を養うことですからね、韓非子の中に「君以計畜臣 臣以計事君 君臣之交 計也」とありまして、君は計略をもって臣下を養うし、臣下も計略をもって君に仕えるのだから、君臣の関係は計略である・・・みたいに書かれてますけど、織田信長だって覇者とならなければ臣下を養えないし、戦に勝利するには部下を奮戦させなければならないってことで、暴君を装うのも当然だし、いや、信長に限らず戦国大名は暴君でなければ勝ち残れず、覇者になれず、国が滅びれば君臣もろとも「一巻の終わり」ですからね、もう必死の世界で、親子兄弟だって殺し合うのがあたりまえで、そういう中で「生き残りをかけた戦い」をするわけですから、君臣共に修羅道以外に生きられないわけで、余談ですが信長も必死、信長を討った光秀も必死、マア「殺し」など当然の世界ですからね、アルジュナも釈尊もそんな世界が嫌だったけど、君主となった以上は修羅世界に生きるしかないのが戦国大名の宿命で、でも、足利義政はアルジュナや釈尊と同じで、修羅世界を厭う気持ちが強かったと想像します。
足利義政は文化の面では貢献が大きくて、と言っても、義政にはすばらしい協力者がいたからですけど、中尾真能(能阿弥)ですね。彼は足利義教 → 義政と仕え、彼の子の芸阿弥、孫の相阿弥もまた、文化の面で業績を残してまして、多才な人々ですが、茶の湯に関しても寄与が多大で、東山派の茶の湯を起こしたし、それよりも、東山御物に関する功績が著しいと思います。
さて、今日の写真はテレビ画面を撮影したもので、「来歴が大きな意味を持った」という字幕が見えまして、また、「どんな人物の手を渡ってきたか」と書いてありますが、足利義政愛用の茶道具だったという来歴こそが信長にとっては重要で、室町将軍と同じ道具を所有し、使用する自分は、つまり、室町将軍と同じであるという人物評価が得られるってことですね。アノ、「品物」としての茶道具が価値を持つのではなく、その茶道具に付随する「来歴」こそが価値を決定づける場合があるわけです。
先日、テレビの「なんでも鑑定団」に「利休の茶杓」が登場し、鑑定額は2千万円だったという話を聞きまして、私はその番組を見てないんですけど、要するに茶道具の価値は、「来歴」によって左右される場合があるってことで、松島茶壺は東山御物ですからね、信長にとっては垂涎の的だったことでしょう。
ちなみに、前回とりあげた「つくも茄子」も東山御物です。