茶の湯 ― 懐石の飯は無理難題

ふみ


投稿した直後の自分のブログをパソコンで開いてみましたら、標題の下部に、「ご確認ください」みたいなメッセージが表示されてまして、それはこのブログの筆者とは全く無関係です。ウイルスがパソコンに侵入したみたいなことが書いてあったようです。

それで、私のブログは、以下の写真からです。

上の写真はテレビ画面を撮影したものですが、茶室に近い調理場に出張した懐石の老舗、しかもそこの主人自らが「釜につきっきりで」飯を炊いてるシーンです。

茶の湯の懐石ではとにかく「飯」が大切ですから、「主人自ら」ってのは当然でしょう。なお、その時点では、随伴の調理人が、汁、向付、その他の調理を進めています。

 

マアとにかく、茶会の飯を炊くことには無理難題の面があり、炉の季節だったら客が腰掛待合に移る頃合いを見るとか、とにかく飯を炊き始める時刻に神経を使うでしょうし、炭点前が終わっても飯炊き中とか、その逆に、蒸らす段階に入っちゃってたら、もうアウトで、とにかく「タイミングよく」飯を炊くなんて、懐石のプロでもなければ不可能だろうと想像します。

そんなわけで、茶会の進行に合わせて炊飯のタイミングを計るなんて、亭主本人が飯を炊くとしたら、できるはずないんですよネ、どうしたって。

テレビ番組の茶会は午後からで、客は二人、お客様の到着は正午なんですが、懐石は専門の調理人が、朝から二人がかりで始めています。

 

さて、飯炊きには困難が続きます。飯を炊く調理場は茶室に近いことが必須で、なぜなら、最初に膳を持ち出す時は「煮えばな」の飯を供し、飯次を持ち出す時は蒸らしが中途の飯を人数分だけ供し、その後飯次を下げ、2回目に飯次を出す時は蒸らした飯をたっぷり盛って、飯が不足しないよう、客が食べる分量より多く盛りつけるんですけど、つまり、最初の飯は(1)蒸らしてない飯、次に(2)蒸らしが中途の飯、最後に(3)蒸らした飯と、3段階に分けて亭主が客に持参するわけです。

・・・ が、蒸らしてない飯、蒸らしが中途の飯、蒸らし終えた飯を三回に分けて供するなんて、アノそれ、専門に飯炊きする人がいれば可能かもしれませんが、亭主が炊飯するとしたら不可能ですよね、3種類の炊き加減にこだわるならばですけど。

 

ところで、茶の湯で一番のもてなしは、「亭主一人」で炭を熾し、掃除して、水を打ち、調理し、花を入れ、茶を点てることだと思いますが、調理に関しては、素人にはできかねる部分もあろうと思います。料理とか菓子ですね。

でも、「亭主一人」にこだわるのは、「亭主自らが行う」ところに意義があるからであって、他人の手を借りれば借りるほど、もてなしの度合いが薄れてしまうように、私は感じます。

 

また、客になった場合もですね、たとえ美味じゃなくても、「亭主自ら」つくってくれたという、そのことが嬉しいのであって、「おいしさを求めて」料理や菓子をいただくんじゃないってことですよね、茶席では。

アノ、単に「おいしさ」を求めるのであれば、腕のいい料理人や菓子職人がいる店に出向いて食べたり、あるいは取り寄せればよいのであって、茶席で求めるものは「おいしさ」ではないからです。

 

さあ、ここで矛盾が生じます。

おいしいご飯をタイミングよく供しようとすれば、「他人の手」を借りなければならず、亭主一人では不可能ですし、「亭主一人で」行うのがもてなしの極みだとすれば、そこのところの矛盾ですね。


それで、そういう矛盾については後日話題にすることにしまして、次回は汁のことを書きたいです。

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