極楽に迫る楽しい茶の湯

上図はパソコン画面を撮影したもので、葉山イサオが酔って「隣のおばちゃん」宅に上がり込み、お茶漬けをいただいてるシーンですが、森田幸江の部屋と間違えちゃったんでしょうかネ?
おばちゃんは「ま、たまにはいいか・・・」と言ってますから、ものすごく寛容、イヤ、モゥ、仏教語で言えば「慈悲」が満点ですねェ。
ところがイサオ、「茶がぬるい」と、ちゃぶ台返しです。また、やらかしてしまいました ・・・ けど、イサオには「悪かった」って思いも自覚も無いと思います。
アノ、前回のブログで「去有風的地方」の挿入歌「好好的」から、「あの時の愚かさを許して」という歌詞を紹介しましたが、イサオは自分が愚かだなんて認識、皆無でしょうネ。
けれど、です、このブログは「イサオがダメ人間」みたいに評価するとか、あるいは是非善悪、正邪を判定する目的は皆無でして、そこのところが肝要です。
価値判断しようとする意図はありませんで、人はみな一人一人、「生き方のスタイル」とでも言いましょうか、そういうのを持っていて、また、「それでいい」と確信してるというか、自分の感覚が「当然」だと思ってるのが一般的だナアと、世の中を見てますと、私には想像されます。
まあ、そんなわけで、「おまえはダメだ」と誰かから非難されたら、人は憤りますよね、普通・・・
アノ、そういうのが人間なんですから、相手を非難したり否定したり、さらには攻撃しますと、闘争にまで発展するわけで、マア、デモ、人間というのは、太古以来争いを繰り返し、殺し合ってきましたし、今も世界の各地が戦場となってるわけで、茶の湯からは隔絶した世界ですからネ、その話はお終いに。
さて、茶の湯では懐石が行われ、膳を差し上げるって、モゥほんと、亭主としては非常にうれしく、喜びこの上ありませんし、さらに後半の盃事は、とりわけ楽しい極楽世界ですけど、仏教語としての「極楽」を使ってるわけではありませんで、イヤァ、仏道修行皆無で極楽感が味わえる懐石って、やっぱり大好きです。