茶の湯は安穏で澄明

前回のブログに続いて、今日は大麦が苦しい理由でして、上記のテレビ画面、字幕は「気合いと根性で命を燃やして、何とか書く」となってます。「命を燃やして、何とか書く」なんて、悲壮な決意ですけど、でも実のところ、彼女の声は沈み、力もないんです。
ですから、無理して強がってるの見え見えで、彼女、「自分自身に対して」強がってるんですが、「父親の反対を押し切って」文筆の道に進んだといういきさつがありますから、「弱みを見せられない」覚悟なのかも知れません。
「命を燃やして、何とか書く」は、彼女のセリフ「燃焼生命的熱情」を邦訳したもので、そういう彼女の姿、痛ましいです。
マア、「追い込まれちゃった」と言ったらいいでしょうか?
彼女、行き詰った執筆を何とかするために生命を燃焼させなければならないことに加えて、「自分がダメだ」ってことを父親や読者に「気付かれないよう、隠そうとする」こと、さらには「ダメな自分」を「自分で認めたくない」ために、さらに大きな生命エネルギーを無駄に浪費させなければならないハメに陥ってるように見えます。
そしてその後、彼女、「痛苦」と言うんですが、もうこれ、セリフを漢字に変換すれば、邦訳の必要がありません。
で、茶の湯の心境はそういうのとは反対でして、安穏、そして澄明な心のありようにおいて楽しめるものなんですね。
最後に軽口、おちゃらけです。安穏 → アンノン → アンアン・ノンノ → アンノン族 → 澄明な空の下でゆったり過ごす癒しの旅 ・・・ お茶を一服、いいですネエ、そういうの。でも、話題が古すぎました。