茶の湯を行う気持ち

前回はTVドラマ「去有風的地方」(邦題「風の吹く場所へ」)に登場する大麦のことを書きましたが、今日はその続きです。
苦境に陥ってる大麦に対して、ヒロインの許紅豆が「我都為你加油」と言って慰めます。そのシーンが今日の添付写真で、邦訳では「あなたを応援するわ」となってます。
それでネ、許紅豆の心情はそのセリフだけでは理解不十分でして、アノ、大麦は「執筆の仕事に行き詰ってる」以前に、そんな軽い問題ではなく、別の深刻な問題を抱えてると思います。
それ、まず、父親が彼女の執筆業に反対してるってことで、彼女は父から「認められてない」んです。次に、執筆が順調に進まなくなった彼女は、読者から「見放される」って事態が眼前に迫り、危惧してるんです。
その両方共ですね、他の人から「受け入れられない」って恐怖で、その、「自分が否定される」、あるいは「自分自身そのものが拒絶される」みたいな感覚って、ものすごくひどくありませんか?
そうですねえ、7月29日のブログに「『家出』であって、一昔前ならハチ公前、その後はトー横、グリ下、ドン横など、そして今は、そうですねえ、今はどういうところに向かうんでしょうか、親や家を嫌忌してそこから逃れる若者たちって・・・」なんて書きましたけど、大麦もですね、自分を否定する父親から「逃れるために」雲南省鳳陽邑にある有風小院の三號房(3号室)に避難してるのかもしれません。
アノ、子どもにとって「居られない」我が家っていうことはあるもので、例えば乳幼児の頃から虐待を受け続けるとしたら、子どもは養育者を忌避しますよね、虐待死まではいかなくて生き延びたとしたら。まあ、それほど程度がひどくなかったとしても、親などの家族とはいっしょにいたくないって心情、現実にはいっぱい見られるかなあと想像しますが、そんな話が主題ではないので、大麦の現状に戻ります。
大麦は「執筆が不調」という現在の問題より、自分が「拒否される」みたいな人間関係の苦しみを長期間抱え続けてきたんじゃないか? ・・・ ってことも想像するんでして、そうするとですね、「孤独そのもの」ってことになり、孤独って人から「元気を奪う」こと、甚だしいと思うんです。まあ、生きるエネルギーが切れちゃうっていうか、そんな感じですね。
さて、今日は日本舞踊の会で義太夫の「龍虎」を見まして、舞台は撮影禁止なので映像は無いんですが、龍も虎も立方(踊る人)は女性、アノ、武闘シーンがとても良かったです。このブログの10月7日に八代目坂東三津五郎のことをちょっと書きましたが、彼がこの「龍虎」をよく踊ったということで、「武闘」というのはエネルギーの爆発だなあって思いましたけど、大麦の様子を見ますと、生命エネルギーの枯渇を感じました。
さて、そこでです、許紅豆の「我都為你加油」ですが、それ、許紅豆が、大麦に対してどんな心情で接したか、 ・・・ アア、でもそれ、すごく大きな問題で、今回書ききれるようなテーマじゃないので、今後、このブログで少しずつですね。
そして最後に、茶の湯ブログなのに、なぜドラマのそんなセリフを書くかと言えば、その言葉の中に、人間関係というか、アァ、人間関係なんてことを超越して、人は何が大切なのかってことが表現されてると思いまして、茶の湯って「そのこと」、つまり、生きる上で一番大切なことを「実践する」場なんだ ・・・ と思ってるんですが、イヤァ、今日は大言壮語しちゃいましたけど、本心です。