永忠が茶を献ずる

ふみ

たとえば就職活動での「自己PR」で、私の長所は「○○です」と言ったら、□□の面、△△の面、☓☓の面が「省かれて」ますけど、でも、現実の人間って、○○の面の他、□□の面、△△の面、☓☓の面などを「併せ持ってます」よネ。

 

さらに、「協調性」を強調PRしたとしましょう、すると、「主体性」はどうなの?
って、疑問視される懸念がありはしませんか。

 

ここで言いたいことは、この人は○○だというふうに「決めつける」ことができないってことです。人はいろんな面を持ってまして、その場その場に応じて、いろんな面が発動すると思います。自分自身のことを振り返ってみても、感じ方や態度、行動なんかが目まぐるしく変化してるって自覚できますね、「同じ自分」なんですけど。

まあ、仏法で言えば、「不変の本体」とか「実体」というような、「決まったもの」が存在してるわけではないってことで、でも、注意すべきは、だからと言って、「このように存在する」ことを否定してるのではないということです。

さらに言えば、「変化する」ことが悪いって言ってるわけではなく、もちろん、良いって言ってるわけでもなく、要するに「好き嫌い」とか「価値判断」は言ってないわけで、ただ、何事も「変化する」という「事実を言ってるだけ」のことです。

蛇足ですが、「変化する」のだから「〇〇の態度でなければならない」・・・ みたいなことも、全く言ってません。

 

それで、永忠が嵯峨天皇にお茶を差し上げた件ですが、当時の茶は珍奇な超高級品、それを「自ら煎じて」、最高位に御座す帝にさしあげたわけですから「すごいこと」だし、それはもう、一世一代の晴れ舞台であり、誉だと、齢70歳を超えていた彼には感じられたんじゃないかと想像します。

 

永忠は秋篠氏出身、奈良時代の官寺、秋篠寺の僧で、30歳代で唐に留学、まさにエリート中のエリートと思います。留学先が長安の西明寺で、これがまた、唐の皇帝によって建てられた中国史上最大級の寺、そこで30年近く修行して帰国したんですから抜群の経歴だし、本邦最高位の僧と認められるのも当然だと思います。

永忠が住持にしてもらった梵釈寺は桓武天皇の創建ということで、桓武天皇の子である嵯峨天皇を永忠が接待するのも当然の成り行きと思います。


感想ですけど、茶は、国家最高位の貴人をおもてなしする公式の場で供された、絶類の飲み物だったという歴史的事実が感慨深いです。

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