茶の湯はお客に喜んでもらう

ふみ

 

前回に続いて「ばけばけ」の一場面ですが、「借金返すために祝言挙げるんだけん」にはモゥ、びっくりとしか言いようがありません。人の感覚、人の思いって千差万別、驚愕そのものですネェ、私には夢にも思えない「異界」の心情でした。

江戸時代の川柳に「入聟は、わが物までに事をかき」ってのがありますけど、まあねェ、入聟が悲惨そのものだった例、いっぱいあるんじゃないでしょうか、もちろん、幸せな入聟もいたには違いないでしょうけど。

 

アノ、昔は人権意識なんて無かったのがあたりまえで、女性はもっと苦しい目をみたんじゃないでしょうか? 「孝行も四つ手、不孝も四つ手なり」って川柳がありますけど、娘が「身売り」させられた時ですね、女衒が娘を四つ手駕籠に乗せて遊里に連れ去る地域もありまして、娘が「自分を犠牲にして親を助ける」のは、世間的には「孝行」って評価されたでしょうが、それ、娘にとっても、また親にとっても、地獄絵図だと、私は思います。

 

マアとにかく、「個人を大切に」する感覚など無いって、昔から世界のどこにでも、普通にあったと思います。

しかしその反対に、茶の湯の世界は「人を大切にする」ってのがまず第一で、アノ、第二も人を大切にすること、第三もそれなんだって、茶の湯はそのようでありたいと念願している私です。

 

それで、話は変わりますが、茶の湯を習い始めますと、手順と言いますか、作法と言いますか、あるいは型と言ったらいいでしょうか、そういうのを習うことが中心ってことになるかなあ?

・・・ それ、どうしてもそうならざるを得ない面があると思いますし、だから習う人はですね、一生懸命な人ほど上達したい気持ちも強いと想像しますし、そうすると勢い、技の修練に熱心になり、それ、とってもいいことなんですけど、突然話は飛躍しますが、誰でも無料で、あるいはとっても低価格で参加できる大寄せ茶会でですね、ご正客が「とっても上手なお点前でした」と亭主を褒める場面に何度か同席してまして、マア私としては「立派な点前を披露すること」が大切とは思ってませんで、でもこれ、私の考えが正しいと主張するために書いてるわけじゃなく、亭主というものはお客様に喜んでいただくために茶会をするのであって、自分の点前がいかに見事かを見せつけ、自慢したいがために行うものではないと思ってますと、それが言いたかったんです。


そして、点前に限らずですね、よい道具を持ってるとか、要するに、自分を「評価して欲しくて」茶会をするわけじゃありませんで、お客様に喜ばしいひと時を過ごしていただきたい一心で行うものだと思いますって、その気持ちを書きたかったのです。

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