良くしてもらえる茶の湯

上の写真は中国TVドラマ「風の吹く場所へ」(原題「去有風的地方」)ですが、気になったシーンでして、字幕には「私、世話されてる」とあるんです。
でもそれ、「一般都是我照顧別人」というセリフでして、そうですねえ、「いつもなら、私が他の方のお世話をして差し上げてる情況かなあ」みたいに訳しましょうかね、私なら。
マア、つまり、字幕はずいぶん意訳でして、でも、それはそれで全体的にはたいへん巧みに翻訳されていると思います。
詳しく書きますと、その前後のシーン、実際のセリフとテレビの字幕は、次のようです。
之遥 : 「怎么不吃啊?」 (字幕)たべれば?
紅豆 : 「謝謝啊」 (字幕)ありがとう。
之遥 : 「不客気」 (字幕)どうぞ。
紅豆 : 「一般都是我照顧別人」 (字幕)私、世話されてる。
之遥 : 「感動啦?」 (字幕)感動したか?
紅豆 : 「感動不至于」 (字幕)それは言い過ぎ。
紅豆 : 「你看我照顧別人的事項、也没見別人多感動啊」
(字幕)人の世話をしても、感動はされなかった。
紅豆 : 「最多感謝了」 (字幕)せいぜい感謝ね。
私、もう、そのやりとりを聞きながら、ヒロインの紅豆のこと、心から痛ましく思いました。
彼女、北京の大ホテルでフロントマネージャーを務めてた人でして、世間的にはですね、誰もがうらやむ地位にあるし、給料も高かったんですけど、でも、精神的にはネェ・・・
話は飛躍しまして、今ではほとんどいなくなったと思われる幇間ですが、客の「機嫌をとる」ことで収入を得る職業ですからネ、例えば心地良く酔った旦那が芸者と遊んだ帰り道ですね、氷が張ってる水面のそばを通りかかり、幇間に「飛び込め」と命じたとしたらどうなります? ある幇間の話ですが、実際に飛び込んで濡れ鼠、泥だらけ ・・・ ですよ。マアでも後日、旦那が着物と羽織を誂えてくれたわけですが。
アノ、そういうタイプの職業というか、労働があるわけで、顧客の「我がまま気まま」を満たして差しあげ、気分良くしていただくことによって、代価を頂戴するってわけですが、でもそれ、激しく労働者自身の心を破壊することにもなるかなあ? ・・・ って思いますけどね。
それで紅豆は心が擦り切れちゃったと想像するんですが、それゆえ彼女は中途退社し、「心を回復させよう」として雲南省鳳陽邑にある有風小院にやってきたんですけど、他人から「良くしてもらえる」ってことが「信じられない」心の状況に陥ったままでして、まだ「回復してない」状態にあると、ドラマを見ていて感じました。
茶の湯はそういう世界とは反対でしてね、無償で「良くしてもらえる」の、「あたりまえ」の世界なんですよ。アノ、茶会では全く、100パーセント、間違いなく、疑いなく、全面的に自分が受け入れられ、好意を持って迎えられ、丁重に接してもらえますからね、アア、それだけじゃなく、茶の湯を習いに行ってもですね、同じことです。