茶の湯は敬愛の人間関係

上の写真、TV放送の画面で、「だって 抵抗のしようがないじゃないですか 子どもがね」って字幕ですけど、心に刺さるものがあります。
アノ、茶の湯って、「大人が」ですね、「大人に対して」行うものでして、大人は自分を攻撃する相手には抵抗するでしょうけど、茶の湯は「相手を敬して」、相手に喜んでもらうために行うものですからネ、茶の湯の場ではお互いに親愛の気持ち全開なんです。
ところが、子どもを痛めつける親がいるからでしょうね、「抵抗のしようがない」って上記の言葉、大人であっても茶の湯その他の場で敬愛の人間関係を楽しむことができるのに、ましてや子どもがですね、親から虐待される凄惨な場面で、子どもですからネ、親に「抵抗のしようがない」って情況、ホントにそのとおりで、言葉を失います ・・・
大人だって、たとえば茶の湯では、相手の人が嫌がること、不快に感じること、心が痛むようなことをしないよう、まずそれを心がけますけど、またそういうの、人間関係の基本のキでもありまして、アノ、茶の湯はそういう「基本のキ」を行うのでなければ、最初っから成り立たないものだと思います。
最後に蛇足で、「抵抗のしようがないじゃないですか 子どもがね」って言葉なんですけど、現実にはですね、子どもが大人になったとしても、親が子を攻撃するってことは、世間にいっぱいあることでして、一例として、元農水事務次官長男殺害事件の控訴審判決のことをちょっと書きます。
76歳の父親が44歳の長男を刺殺した事件でして、以下は、控訴審判決の一部です。
『原判決が、結論として「被告人は,被害者の抵抗を受ける前に、ほぼ一方的に攻撃を加えたものと認められる」と認定したことに誤りはなく、また、このような本件犯行態様及び被害者の受傷状況も踏まえて、「本件犯行は強固な殺意に基づく危険な行為であったと認められる」としたことにも誤りはない。』と、抵抗してない長男を、殺意に基づいて一方的に攻撃したとする原判決が、控訴審で認められました。そして、父親の刑は確定しました。