茶の湯は親交を楽しむ場

ふみ

上の写真、TV放送の字幕に「やっぱり 子どもは 目の前の親から逃げられないんですよ。」とありまして、その行き場がない、出口がない、抜け出せない、行き詰まってる情況が悲惨さMAX、激烈そのものですね。

 

で、で、茶の湯って、閉塞した人間関係とは真逆なんですよね。

・ ・ ・ と言うか、茶の湯って、いっしょに茶の湯を楽しむ人を、「その都度その都度」選ぶと言いますか、つまり、今度は誰誰とお茶を楽しもうって、いっしょに集う人を決めて、それで茶の湯の場を設定するわけです。つまり茶の湯は、「いっしょに気持ちよく過ごせる人とだけ」行うものだってことです。

 

それで、「茶会」というとですね、いわゆる「大寄せ」と呼ばれる形態を思い描く方が多いかなあと思いますけど、つまり、映画「日々是好日」で描かれる茶会シーンですね、でも、このブログで「茶会」という言葉を使う時、ほんの数名で、しかも、「亭主が招待したお客様」だけで行われる茶会のことを書いてまして、だから、「知らない人」と同席するような茶会を想定して書いてるブログではありません。

アノ、京都五花街の茶屋などに「一見さんお断り」のしきたりがあるそうで、私はそうなってるみたいだってことくらいしか知りませんけど、でも、お客様を十二分におもてなしするにはですね、茶の湯だって全く同じで、「気心の知れた仲」でなければできないことなんですよね。

そんなわけで、もう最初っから緊張感や重圧感が皆無、心が軽く、楽しい楽しいっていう世界で行われる遊びが茶の湯であります。

 

まあ、そんなふうに喜びと解放感を楽しめるのが茶の湯でして、それは「関わる人を選ぶ」ってことで成り立ってまして、それで一言蛇足を加えますが、「相手を選ぶ」ことは、選ばない相手を「否定してるのではない」ってことでして、そこのところは誤解無きようにお願いします。

蛇足ついでにもう一つ、人を攻撃したりひどいめにあわせたりする人間は避けるべきでありまして、「逃げられない」情況で子が親に痛めつけられる場合、子は親と完全絶縁して、子も親も共に地獄に突入する方向性を遮断すべきであります。

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