茶の湯 ― 親愛と融和
上の図はパソコン画面を撮影したもので、森田幸江が、「いろいろ研究」してつくった食事を出しましたら、次のシーンで葉山イサオは、「同じもんばかり食わせるなー」と「ちゃぶ台返し」をするんです。 アノ、この漫画は前回のブログで紹介した2コマに続く部分でして、その2コマは、葉山イサオが「まずい」と言って「ち... 続きをみる
上の図はパソコン画面を撮影したもので、森田幸江が、「いろいろ研究」してつくった食事を出しましたら、次のシーンで葉山イサオは、「同じもんばかり食わせるなー」と「ちゃぶ台返し」をするんです。 アノ、この漫画は前回のブログで紹介した2コマに続く部分でして、その2コマは、葉山イサオが「まずい」と言って「ち... 続きをみる
上の図はパソコン画面の漫画を撮影したものですが、葉山イサオが「まずい」と言って「ちゃぶ台返し」をしましたから、次のシーンでは森田幸江が、「いろいろ研究」して食事をつくったわけです。 その「研究する」ということは、茶の湯ですごく大切だと思いまして、たとえば懐石にしてもですね、ぜいたくな食材を手に入れ... 続きをみる
上記写真は、東洋文庫「日本の茶書 2」の上に、今日穫った茄子を載せたものです。 この本には、高橋箒庵の「おらが茶の湯」も載ってまして、その中から一文を引用します。 『唯だ茶は、其の身分に応じて、富者は富者、貧者は貧者、夫れぞれ其の境涯に応じて自分の茶味を発揮するのが肝要なのである。』 その文、貧者... 続きをみる
上の写真は、辻嘉一の本に今朝の花を載せたものですが、その本を編集したのは中央公論社の池田洋一という人で、本の最後に、辻嘉一の思い出話を書いてますから、その一部を以下に引用します。 『(前略)「茶懐石は、もともとお茶人さんの奥さんが作られたもので、家庭料理の延長ともいえる」という、辻留さんの日頃から... 続きをみる
今回もパソコン画面から「ちゃぶ台返し」シーンを撮影し、上に掲載しました。 前々回と前回は「飯がまずい」という理由でしたが、今回は「ビールがぬるい」という理由で、ちゃぶ台ばかりでなく畳まででんぐり返すという、現実には不可能な強烈表現ですから、笑っちゃいました。 さて、辻嘉一の「お料理かるた」に「ぬる... 続きをみる
上記画像は、前回に続いて「自虐の詩」から「ちゃぶ台返し」でして、パソコン画面を撮影したんですが、前回は漫画版で、今回はその映画版です。そして、両方、同じシーンです。 今回のブログでは赤沢閑甫の懐石について続きを書く予定だったんですけど、「ちゃぶ台返し」に気を取られたので、今回と次回は「ちゃぶ台返し... 続きをみる
上記画像はパソコンの画面を撮影したもので、「なんだ この まずい めしは」と、ちゃぶ台返しするシーンがおもしろくて・・・ あの、前回のブログで「百パーセントおもてなしの心」・・・って書いた意味はですね、「おもてなし」以外の気持ちが無いってことで、例えば、「こんなつまらない食材」とか「こんなダメ料理... 続きをみる
前回のブログでは子母澤寛の本から引用しましたが、『わしは汁を吸いながら貝のからを一つ一つお椀の蓋の上へ並べてみた。』というところまでで終了しました。 で、「わし」と称してるのは石黒忠悳で、以下の文に老人とあるのは赤沢閑甫のことなんですが、その後の文を続けて紹介します。 『そして「どうもお心づくしの... 続きをみる
上の写真、ムクゲの下に置いたのは子母澤寛の「味覚極楽」で、その中に「しじみ貝の殻」という文があります。ある人から聞いた話を筆記したもので、「わし」と自称してるのは石黒忠悳です。石黒忠悳のことは今日は書かず、後日にします。 『牛込早稲田に赤沢閑甫という茶人が住んでいた。わしよりは三十位も年長だが元気... 続きをみる
上の写真はテレビ画面を撮影したもので、懐石の最初に運ばれてきた膳です。 中国では唐の時代以降、また日本でも左が右より上位で、左側に飯椀がありまして、前回ブログに書いた「蒸らしてない飯」が写ってます。 右側が味噌汁で、映像からは結び麩と小豆の白味噌仕立て、あるいは合わせ味噌仕立てに見えますが、画像か... 続きをみる
投稿した直後の自分のブログをパソコンで開いてみましたら、標題の下部に、「ご確認ください」みたいなメッセージが表示されてまして、それはこのブログの筆者とは全く無関係です。ウイルスがパソコンに侵入したみたいなことが書いてあったようです。 それで、私のブログは、以下の写真からです。 上の写真はテレビ画面... 続きをみる
上記の写真は連続テレビ小説「ばけばけ」の画面を撮影したもので、私が注目したのは「飯椀」の大きさです。「でかい」です。拙宅にある大きいのは直径135mmあります。 その135mmの飯椀を懐石で使うか? ・・・ と言えば、現代の感覚では、しかも客が女性であれば、巨大すぎると感じるだろうと思いますから、... 続きをみる
上記の写真はテレビ画面を撮影したもので、信長がフロイスに給仕しているイメージ画ということですが、私が描くイメージとはずいぶん異なります。 さて、9月25日のブログに、織田信長がルイス・フロイスとロレンソ修道士にお茶を振舞った話を書きましたが、今日はその続きで、茶が振舞われた後、「私たちの談話は2時... 続きをみる
上記の写真はテレビ画面を撮影したもので、お節料理、三つ肴のうち、ごまめです。テレビで店名は紹介されてませんけど、調理は「光仙」だと思います。「ごまめ」でなく、「田作り」の名称になってるのは、関東で制作、撮影された番組だからでしょうか。 ごまめの料理法と言えば佃煮と思いますが、昔(江戸時代)にはごま... 続きをみる
緊急報告です。このブログを投稿した直後、ちゃんと投稿完了したかどうか確かめるため、「パソコンで」開いてみました。 今回私が投稿したブログは、「岐阜市デー」の写真から始まるんですが、自分の投稿画面を見ますと、「岐阜市デー」の写真の上方に、「ビデオ」という文字と▶印だけが表示されてるのがありました。不... 続きをみる
8月27日のブログに、次のように書きました。 「その後、彼は、修道士と私を、二、三人の特別な寵臣とともに伴って、茶の湯の室、および彼が同所で所蔵していた他の高価な品を見せました。」 その「高価な品」のことを書く前置きとして、前回までのブログを書いてきたわけですが、ルイス・フロイスが茶の湯の室と高価... 続きをみる
「高槻市史」第3章第1節から、一文を引用します。 『堺豪商今井宗久は名物「松島壺」を持ち、やはり堺の武野紹鴎は名物「茄子」を献じたといい、信長の芥川逗留14日間は、門前市をなしたという。『今井宗久茶湯書抜』によると、宗久所持の「松島壺」は永禄13年4月朔日、信長のもとで堺支配に当たっていた松井有閑... 続きをみる
「信長公記」は信長の家臣だった太田牛一が江戸時代に完成させたようですが、書いてあることが正しいとしても、ドキュメンタリーの映像とは違いますから、読む人によって異なる解釈が行われるのは当然ですね。例えば永禄11年10月に、信長が芥川山城に滞在していた時のことを書いた一文を紹介しますと、『今井宗久是又... 続きをみる
前回は、芥川山城に滞在していた織田信長に、松永久秀が「つくも茄子」を進上したことを書きました。 で、次は、今井宗久が松島茶壺を信長に献じたのは事実なんですけど、それが、芥川山城に信長が滞在中のことであったということには疑問を持ってますってことを書きたいんですが、その前に、今日は東山御物に関連するこ... 続きをみる
「つくも茄子」を使って茶会をしたら、所有者の松永久秀自身は大いに喜びでしょうし、客はうらやましさ Max で、誰もが「欲しいなあ・・・」って思うでしょうね。 で、次は何の根拠もない私の妄想ですが、織田信長って、東山御物にものすごくあこがれて、欲しさMax だったと、イヤ、ほんとに妄想ですけど、きっ... 続きをみる
織田信長の名物狩第1回目のことを、前回、書きましたが、その前年に、信長は松永久秀から、すばらしい名物を手に入れています。また、今井宗久からも手に入れるんですけど、 松永久秀は武将、今井宗久は政商なので立場は違います。けれど、両者ともに「茶人」でもあり、松永久秀は永禄元年に北向道陳、山上宗二、今井宗... 続きをみる
前回は弟子から123万円を騙し取ったお茶の先生から話を始めましたが、その先生、どんな茶の稽古を目指してたか ・・・ ってことも報道では紹介されてまして、上はその画像です。 「心の修行による人間性の向上」って言葉がありまして、イヤァ、モゥ、すごいです、立派と評価されるんでしょうか、つまり、「社会的に... 続きをみる
今日の掲載写真は、NHKBSプレミアムのテレビ画面を撮影したもので、番組名は「へうげもの名品名席」です。 写ってるのは重要文化財の唐物肩衝茶入で、銘が「初花」、所有者は足利義政→鳥居引拙→疋田宗観→織田信長→織田信忠→松平親宅→徳川家康&... 続きをみる
茶の湯が発展していく過程で、織田信長は、とっても重要な役割を果たしたと思います。 で、戦国大名の後継者候補である若君は、禅師について学ぶのが普通で、信長は吉法師のころからずっと、沢彦宗恩(臨済宗妙心寺派)について学んだということですが、マア、吉法師はたいへんな ・・・ というか手を焼かせる弟子だっ... 続きをみる
気の置けない人と少人数で社交を楽しむのが茶の湯だと思う私でして、じゃあ、茶の湯って何をするのかと言えば、「飲食」が主体なんですよね。もちろん、そのほかに花を楽しんだり、道具類を愛でるとか、さらに極論すれば、「いっしょに過ごす」ことそのものが楽しいっていうのが茶の湯だって感想です。 飲食の面で言えば... 続きをみる
今日、銀行に行ったら「小さな親切」夏号という冊子が置いてあったので、待ち時間に見たんですけど、その中から、ある一文を紹介します。 『親切とは、「思いやりを行動に移すこと」。では、誰かに親切にするとき、脳の中ではどんな働きが起こっているのでしょうか。 まず、困っている人を発見した場合、その状況を見... 続きをみる
南方録ってどういう書? ・・・ ってことについては、いろいろ論議されるようですが、 「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」の歌を取り上げてることについては、とても納得です、私は。 とてもしみじみとした、よい歌だと思うからです。 私の感覚では、花や紅葉に代表される「華麗さ」が皆無の... 続きをみる
前回に続き「天の川席」ですが、空想したくても困難なのが、懐石をどう行うか? です。 道具畳が台目で、炉の向こう側に向板がありますから、貴人畳の客は一人でないと給仕不能かと思います。なぜなら、炉がある場所を避けて膳を置かねばならず、茶道口と給仕口が兼用で、亭主が動ける道具畳の空間が極狭ですから、1尺... 続きをみる
前回書いた「天の川席」ですけど、私は「亭主自身が楽しむために」つくった茶室だと想像します。 アノ、真ん中の道具畳が「天の川」、その天の川を挟んで、居前の左側と右側に牽牛と織女をお招きし、粗茶一服差し上げるなんて、なんと楽しく、うれしいことでしょう! 茶会においてお客様というのは「お一人」で、つまり... 続きをみる
「天の川席」って、それ通称ですけど、ものすごく珍奇な茶室があって、写真でしか見たことないんですけどネ、「変わってる」なんてもんじゃありません、「突飛」と言ったほうがいいでしょうか、でも、すごく好ましく思われますし、すばらしそうです。 「すばらしそう」と表現したのは、実際に体験できないからで、でも、... 続きをみる
茶の湯は「相手に心を致し」、そして「相手の喜びになるように」行うものであって、そこがすばらしいと思います。 そして、「相手を大切にする」ってことは、つまり、「自分を大切にする」ってことでして、アノ、それは絶対にそうです ・・・ というか、「同じこと」を表から見た時と裏から見た時とで、表現が違うだけ... 続きをみる
小説「雪国」から、主人公島村の子どもについて書かれている部分を引用します。 『彼は昆虫どもの悶死するありさまを、つぶさに観察していた。 秋が冷えるにつれて、彼の部屋の畳の上で死んでゆく虫も日毎にあったのだ。翼の堅い虫はひっくりかえると、もう起き直れなかった。蜂は少し歩いて転び、また歩いて倒れた。季... 続きをみる
今回は、小説の最後で「天の河が流れ落ちた」理由を書くつもりでした。 でも、その前段階を書く必要があると気づきました。 いきなり「結論」では飛躍しすぎだし、結論に至る経過を省略しすぎだからです。 葉子は火事で燃え盛る繭倉の二階から落ちたのですが、落ちた後の記述を小説から引用します。 『水を浴びて黒い... 続きをみる
茶の湯では室内で炭火を使いますが、それが原因で火事が起きたという話を聞きません。 茶の湯では、毒見役が毒見するのが当然の時代であっても、貴人に毒見役がつきません。 茶室に入る時、刀は室外に置いて入室しますし、護衛役もつけません。 たとえばそんなことがありますから、茶の湯には、一般の常識では測れない... 続きをみる
映画「日々是好日」に「大寄せ」のシーンがあります。大寄せには、以前は私もしばしば行ってたんですが、厳しいコロナ対策が緩和され、茶会が復活して以降は行ってませんで、それは元々、大寄せを好まない私だからです。 さて、映画では客がぎゅうぎゅう詰めですけど、両脇から押されるようでも、窮屈そのものには不快を... 続きをみる
茶の湯って、「いっしょに居る」こと自体が楽しいので、「いっしょに居る時間を引き延ばそう」と思っちゃうんですよね。 それで、炭を継ぐってことも、茶会を「長引かせる」ためにはよい手段だという感想で、だから、初炭、後炭と2回継いだり、それでも足りなくて立炭を行うこともあるとか、私は立炭については文章で読... 続きをみる
「人といっしょに居る」ことを楽しむのが茶の湯だと、私にとっての茶の湯は、そういうものです。 それで、誰かといっしょに「ただ居る」だけではつまんないので、食事をさし上げたり、酒を酌み交わしたり、菓子と茶をさし上げたりするわけですが、食事も茶も「自分で調え」、給仕したり、お酌したり、点茶してさし上げる... 続きをみる
小説「雪国」の冒頭部分で私が興味を持ったのは、駅長の服装でした。駅長が葉子に言います ・・・ 「私は着物を四枚重ねだ。若い者は寒いと酒ばかり飲んでいるよ。それでごろごろあすこにぶっ倒れてるのさ、風邪をひいてね。」 あの、現代では「四枚重ね」なんて言葉、意味が通じなくなりつつあるかなァ・・・なんて想... 続きをみる
7月1日に「女ひとり」の歌詞3番の冒頭を書きましたが、続いての歌詞は「恋につかれた女が一人 塩沢絣に名古屋帯」と唄われます。 さて私は、川端康成が「雪国」を執筆した旅館「高半」に泊まったことがありまして、その翌日、塩沢に行ったんですけど、「雪国」には、主人公の島村が汽車で縮の産地へ行ったシーンが描... 続きをみる
6月12日は「女ひとり」の歌詞1番のことを書きましたが、今日は2番です。 「京都 栂尾 高山寺 恋につかれた 女がひとり」ですけど、高山寺と言えば、茶の湯では茶の栽培、仏道では明惠上人に、私は関心があります。 明惠上人は20代前半で紀伊国有田郡白上の山中に庵を結び、修行なさいましたが、そこは現在の... 続きをみる
前回は三千院でしたが、大原には寂光院があって、後白河法皇の御幸があった時、建礼門院が使われ、その後も愛用されたという丸盆が伝わっているそうです。 漆器店「象彦」が、その盆を写して「大原盆」と名付けてまして、とても好ましく感じますし、いろんな場面で使いやすいと思いました。寄付待合で汲出しの時にも使い... 続きをみる
上の映像はパソコン画面を撮影したもので、「心如工畫師」と書いてある掛物です。長谷川公勇さんのブログに掲載されてるのですが、「清水公照師の薫陶を受け公照師より公勇と付けて頂きました」と自己紹介されてまして、その掛物、落款から清水公照師と分かります。 茶掛の中には「心如工畫師」もあるようですが、私が茶... 続きをみる